自己啓発の歴史と未来

このエントリーでは、自己啓発の歴史と未来を考えてみましょう。

自己開発の話に進む前に、ゴール主義と現状主義の背景にあるものは何なのか、これからはどのような人生観が優位になっていくのかを考えてみます。確かな答えがあるような話ではありませんが、頭の体操だと思って読んでみてください。

なお、このエントリーは広義の自己啓発に関する一連のエントリーの一部です。以下のエントリーから順に読んでください。

では始めましょう。

自己啓発の歴史

まずは、最も広義な「自己啓発」の2タイプと、その主な違いを復習しましょう。以下のスライドと表を確認してください。

自己啓発/個人主義の2タイプ

ゴール主義 現状主義
定義(幸福のありか) 自分のセットするゴール 現状
現状の自分を 否定する
(より良い自分を想定する)
肯定する
問題を 解決する 受け入れる
欲望を 肯定する/高める 否定する/減らす
一言で言うと ゴールに到達して幸せになる いまに幸せを見出す
歴史 浅い 長い

最後の行を見てください。このように、ゴール主義と現状主義のうち、歴史が長いのは現状主義です

理由はシンプルで、長い歴史の大半で、ゴールを叶えることは人類にとって不可能だったからです。

人類の発展と自己啓発

どういうことでしょうか? 以下のグラフを見てください。

このグラフは、世界人口の推移を紀元前2000年から現在まで描いたものです1。すべて概数ですし、1950年以前の数値は推計値ですが、大まかなイメージはこれで一目瞭然のはずです。

見てのとおり、世界人口がロケットのように増加しているのは、ここ200年の話です。助走期間を入れても、せいぜいここ500年ですよね(厳密な期間はこの後の議論に影響しないので、以降はこの期間をすべて「200年」と表記します)。それまでは、世界人口はジリジリと増えるだけでした。

世界人口の大きさは、そのまま「世界の発展の程度」と考えても問題はないでしょう。つまり、世界はこの200年で急速に発展していると言えます。

実際、1820年の日本(江戸時代の終盤で、幕末の手前くらい)には、まだ電気も普及していません。スマホどころか、テレビや冷蔵庫も夢のまた夢です。

Point

世界はこの200年で急速に発展している

近代科学

では、この200年で何が起きたのでしょう?

細かく考えていくと、産業革命、農業革命、医療の発達など、いくつかの説明がありえます。しかし、根本的には、人類が近代科学(テクノロジー)を手に入れたということに尽きます。産業革命も農業革命も医療の発達も、すべては近代科学の発展がその根本にあります。

以下に、「近代科学」の意味を引用しておきます。

16世紀半ばに始まった、ヨーロッパ近代の自然科学の諸体系の総称。経験科学は、古代ギリシャでは哲学と融合し、中世ヨーロッパでは神学に従属していたが、近代ヨーロッパではそれらを克服し、数学と実験による経験界の探求を特徴とするようになった。

これだと何を言っているのかサッパリだと思いますが、要するに、「思い込みや想像ではなく、観察に基づいて世の中の仕組みを明らかにしようとする態度」が近代科学です。人類がこの態度を習得したことで、世の中の理が少しずつ明らかになり、世界が大きく発展しました。

ざっくり言うと、近代科学とは人類にとっての魔法です。実際、200年前の日本人が現代の日本を見るときに受ける感覚は、現代の私たちがファンタジー映画を見るときの感覚と何も変わらないでしょう。鉄の塊が空を飛び、海の向こうにいる人と会話ができるわけですからね。

SF作家のアーサー・C・クラークも、こう言っています。

“Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.”

(十分に発展したテクノロジーは、魔法と見分けがつかない)

Arthur C. Clarke(訳は引用者)

この魔法のおかげで、私たちは快適な生活ができますよね。具体的に説明するまでもないでしょう。

一方、近代科学のない時代には、世界は人類にとって非常に厳しいものだったと想像されます。

なにしろ、周辺で起こることの正体・原因が何も分からないわけですからね。雷が電気であることすら分かっていません。もちろん、まともな医療などありません。江戸時代の主な死因は、虫歯による敗血症だったのではないかという仮説もあるくらいです。

おそらく、近代科学以前の世界では、人々は「いきなり死ぬのが当たり前」くらいの世界観で生きていたのではないでしょうか。いまよりもずっと、世界(自然)は恐ろしいもので、人の命が軽いのです。現代において、こんな前提で生きている人はいませんよね。

つまり、近代科学の前後では、人類にとっての世界の意味が違います

近代科学の登場までは、人類にとって世界とは「変えられない/理不尽なもの」でした。しかし、西暦1800年ごろを境に近代科学の花が開き、世界が「変えられるもの/快適に過ごせるもの」になったということです。

Point

1800年ごろを境に、世界は人類にとって「変えられないもの」から「変えられるもの」になった

変えられない世の中と現状主義

さて、「自己啓発の話のはずなのに、なんでこんな話になってるの?」と思ったかもしれません。

理由は、世界の発展スピードと、人々のもつ人生観には、直接的な関係があると考えられるからです(私の仮説ですが)。先ほどのスライドを再確認してください。

世の中が「変えられないもの」であれば、現状主義の人生観が流行します。ゴールを持ったところで達成できないわけですからね。何とか、自分の現在に幸福を見出すしかありません。

しかし、そのころの世の中というのは、人類にとってとても厳しいモノなわけです。疫病が流行って人がバタバタ死んでも、何が起きているのか分かりません。エアコンもないので、夏は暑いし冬は寒いです。となると、現状に幸福を見出そうにも、その現状が厳しいわけですから、自分一人ではどうにもなりません。

そこで宗教の出番です。前回のエントリーで解説したとおり、宗教は外的な状況を変化させることなく、幸福な心持ちに至る手段を提供しています。これは、変えられない/理不尽な世の中を生きている人類にはピッタリですよね。

つまり、宗教というのは、「厳しい現状におかれた人類が、それでも幸福を見出すために発明した技術」だと言えるのではないでしょうか2

Point

近代科学以前で主流な人生観は現状主義であり、その主な手段は宗教であったと考えられる

変えられる世の中とゴール主義

この状況が、近代科学の登場によって変わります。科学によって世の中が「変えられるもの」になったのですから、望みを持ってもよさそうですよね。努力して、自分を変えて、ゴールを達成できるかもしれません。ゴール主義の誕生です。

言い換えると、近代科学の登場によって、個人主義の人生観が現状主義(宗教)から離れ始めたということです。もともとは現状主義(宗教)だけがあり、そこからゴール主義(自己開発)が派生したと考えてください。

実際、初期の自己啓発書(ゴール主義)には、明らかに宗教の影響が見られます。以下の有名な一文を、あなたもどこかで聞いたことがあるでしょう。

“Heaven helps those who help themselves”

(天は自ら助くる者を助く)

Self-Help

これは自己啓発書の起源とされる、『Self-Help(1859年出版、邦題:『自助論』)』の最初の一文です。

穿った読み方をすれば、これは「神様に助けてほしかったら、まずは自分で努力しなさい」ということですよね。つまり、この本はゴール主義でありながら、最後に神様に幸せにしてもらうことを想定しています。宗教に軸足が残っているわけですね。

現代のゴール主義系の自己啓発書には、このような思想的背景は見られません。徹頭徹尾、「独力で幸せになるにはどうしたらいいか」が論じられており、宗教的な要素は排除されています。

ゴール主義と科学

こうなる理由はシンプルで、ゴール主義というのは、結局のところ科学に帰着するからです。

先述のとおり、「自分を変えて、ゴールを達成できる」という意識の根本にあるのは科学です。現代のゴール主義者がこれを意識しているとは限りませんが(していないケースの方が多いでしょう)、それでも科学が原点であることは変わりません。

言い換えると、科学的に行動するからゴールを達成できるのです(もちろん、ゴールによっては才能や運も必要ですが)。

しかし、宗教はその根本が非科学的なため、どうしても科学とは相容れません。アメリカでの進化論教育を巡る論争などはいい例です。ゴール主義が先鋭化するほど、宗教からは離れざるを得ないということでしょう。

科学は、「快適さ・気持ちよさ」といった、物理的・実質的な利便性を私たちに提供してくれます。この魅力に抗える人はまずいないため、世界中で科学が普及し、結果としてゴール主義も拡大するわけです。

大きい流れとしては、近代科学の登場以降、世界中のあらゆる場所でゴール主義が拡大していると言って問題ないでしょう。

日本でも、「出発点が宗教ではなく全体主義である」という違いはありますが、ゴール主義が拡大していることは間違いありません。200年前は義務教育すら存在しなかったわけですからね(教育というのはゴール主義/自己開発の最たるものです)。

Point

近代科学の登場以降、ゴール主義が勢力を拡大している

自己啓発の未来

では、この流れは今後も続くのでしょうか? 確かなことは言えませんが、せっかくなので考えてみましょう(これ以降、仮説・私見まみれですが未来予測なのでご容赦ください)。

結論を先に述べると、少なくとも日本においては、現状主義への移行が起こる(もしくは、既にそうなっている)というのが私の意見です。

具体的には、以下のようなことが若い人を中心に起こる(一部、既に起きている)と思います。

  • 日本でも宗教が流行する
  • 何の野心も持たない人が増える
  • 教育を軽視・疑問視する
  • 将来を見据えた行動をするより、いまを楽しむことを重視する

私がこのような予測をする理由は、以下の3つです。

  1. 日本は経済成長していない
  2. ゴール主義は多人数を幸福にできない
  3. コロナ(covid-19)で上記2つの傾向が加速する

どういうことでしょうか? 順に説明します。

理由①:日本は経済成長していない

第一に、日本は経済成長していません。以前のエントリーで紹介したグラフを確認してください。

日本経済の推移

では、このグラフを先ほどのグラフと見比べてみましょう。

見てのとおり、現在の日本の成長スピードは、1800年以前の世界に近いです。「近い」というより、同じですね。どちらも横ばいですから。ロケットのような角度の成長は、どこにもありません。

ということは、日本で現状主義が広がるのは自然な結果だと言えそうです。

先述のとおり、人々の持つ人生観の流行を決めるのは、「世の中を変えられる/変えられない」という世間のムードだと考えられます。そのムードの根本にあるのは科学ですが、人々はそんなことを考えたりしません。大事なのはムードです。

30年も成長できていない日本では、「世の中は変えられない」というムードが支配的になるのは当然です。結果として、人々は現状主義に傾くでしょう。

なぜ若者は出世しようとしないのか

このような経済停滞の影響を強く受けているのは、若い世代だと考えられます。人生観というのは若い頃に形成されるもので、年を取ってから簡単に変わるものではないですからね。

では、先ほどのグラフをもう一度見てみましょう。

日本経済の推移

先述のとおり、日本の経済成長にブレーキがかかったのは30年前です。つまり、ざっくり言って、現在30歳以下の人は、それより上の世代に比べて、現状主義的である可能性が高いでしょう。生まれてこの方、「社会が成長する」という感覚を知らないわけですからね。

最近の若者は出世したがらないと言われます。少し検索してみるとそのような調査結果がいくつか見つかるので、若者が出世したがらない傾向は確かにあるようです。

上のグラフは、それに対する一つの答えなのかもしれません。頑張ったら報われる大人(≒出世して給料がグングン増えていく大人)を見ていない世代が、「自分も同じように頑張ろう」とは思わないですよね。

そのような世代は、以下のどちらかの考え方をするはずです。

  1. 「自分は違うように頑張ろう」考える
  2. 「自分は頑張らないでおこう」と考える

この二者の割合はなんとも言えませんが、後者が現状主義者になるのは間違いありません。

このように、日本では「人生」や「世の中」といったものに対する根本的な前提が、30歳くらいを堺にバックリ別れており、かつ30歳以下では二極化している可能性があります。

あなたが何歳かは分かりませんが、このような視点を持っておくと、ジェネレーションギャップに上手く対応できるかもしれません。

理由②:ゴール主義は多人数を幸福にできない

第二に、ゴール主義は多人数を幸福にできません。これはゴール主義の抱える本質的な問題です。

順に説明しましょう。まずは、私たちが「達成できたときに幸福を感じるゴール」の例として分かりやすいものを見てください。

  • 高偏差値の大学に合格する
  • 高年収である企業に入社する/高年収になれる資格を取得する
  • オリンピックで金メダルを取る

どれも、達成できたら強い幸福感に包まれそうですよね。チョー気持ちよくなれそうです。

このようなゴールには、共通する特徴があります。それは、「ほとんどの人が達成できないゴール」であるということです。オリンピックは言うまでもありませんし、「高」という言葉はそれ自体が「平均より上」という意味を含んでいますから、最低でも人口の半分よりは上なわけです。そのような難しいゴールを達成するから、幸福感に包まれるのです。

逆に言うと、ゴール主義者は「誰でも達成できるゴール」で強い幸福を感じることはできません。歩けたり、階段を昇れるだけで大喜びできるのは赤ちゃんだけです。

つまり、ゴール主義者が幸福になるためには、ゴールを達成できない人が同時に必要になります。一人の幸福なゴール主義者の影には、それ以上の不幸なゴール主義者の存在があるわけですね。

しかも、ゴールを達成したゴール主義者には、さらなるゴールが必要になります。1つのゴール達成における幸福感は長続きしませんからね。そこでまた、勝者と敗者が生まれることになります。

こうやって考えていくと、ゴール主義というのは、社会全体を(精神的な意味で)幸福するのに向いていないことが見えてきます。現状主義なら、他者と比較することなく幸せになれますからね。社会全体で幸福になりたいなら、現状主義の方がフィットするのです。

Point

ゴール主義は社会全体を幸福にするのには向いていない(のではないか?)

ゴール主義と人類

もう少し踏み込むと、そもそも人類は過度なゴール主義にフィットするようにデザインされていない(遺伝子的に向いていない)可能性が高そうです。

なにせ、現代のような「人々がゴール(欲望)を持つことを強く推奨する環境」は、せいぜいここ200年くらいの話なわけです。それまでずっと、それこそ猿の時代から、人類は現状主義でやってきたと考えられます。朝活をするチンパンジーとか、見かけませんよね。

断言はできませんが、自殺や鬱といった現象は、ゴール主義が引き起こすものだというのが私の見立てです。自己の現状を肯定できれば死ぬ必要はありませんし、鬱になる原因もありませんからね。ゴールとのギャップに苦しむから、このような現象が生まれるのです。

特に、他者からゴールを強要されることは、人間にとって強いストレスになるのではないでしょうか。チンパンジーは他者(他チンパンジー)にゴールを強要されていませんからね。人間が「他者からゴールを日常的に管理されるような環境」に適応できるようにデザインされている可能性は低そうです。

特に、そのゴールが数値であったり、自分の望まない(価値を見出せない)ゴールである場合は尚更でしょう。

幸福か豊かさか

それでも、ゴール主義は物質的な豊かさ(以降、「豊かさ」は物質的な意味に限定します)をもたらしてくれるため、勢力を拡大してきました。ゴール主義では幸せになれないとしても、家にエアコンがあって、病気になっても死なずに済むのはありがたいですよね。これらはすべて、誰かのゴール主義の産物です。

逆に言えば、ゴール主義を否定するほど、私たちの生活は不便になります。極端な話ですが、今から原始人みたいな生活をしろと言われたら、ほとんどの人の幸福度は大きく下がるでしょう。豊かさ(=ゴール主義)が幸福の一因であることは間違いなさそうです。

それでも、幸福と豊かさは別のものです。幸福とは結局のところ精神的な問題であるのに対し、豊かさはあくまで物質的なものだからです。

実際、国連のWorld Happiness Report 2020によると、日本の幸福度は世界で62位です。びっくりするほど低いですよね。

幸福度ランキング

このようなランキングの妥当性には疑問符がつくとしても、さすがに日本の豊かさが世界で62位だと考える人はいないでしょう。GDPランキングなら世界3位(一人あたりGDPでも26位)ですからね(2018年時点)。

そろそろ転換期では?

結局、私たちは、豊かさほどは幸福になれていないと言えそうです(少なくとも、国連からそう思われている)3。しかも、理由①で見たとおり、この30年、豊かさも横ばいなわけです(他国は成長しているので、相対的には衰退しています)。

となると、そろそろ「豊かさを追求しても幸せにはなれないのではないか?」という疑念が出ることは自然です。

実際、近年の「働き方改革」や「ワークライフバランス」といった議論は、その徴候のように思います。このような現象は、「これまでは豊かさ一辺倒で来たけど、そろそろ幸福のことも考えようよ」という社会の意思の現れではないでしょうか。

まとめると、成長トレンドに関わらず、社会が一定の豊かさを超えると、関心は豊かさから幸福にシフトする(豊かさと幸福の両立が求められる)のではないでしょうか。

これはそのまま、ゴール主義から現状主義への段階的な以降を意味します。日本はそのフェーズに入ったとは考えられないでしょうか。

ただし、先述のとおり現状主義は物質的な困窮とセットですので、現状主義に振り切るというのも現実的ではありません。持続可能なゴール主義のようなものが求められていくのでしょう。

理由③:コロナ(covid-19)

最後に、コロナ(covid-19)によって、ここまで述べた2つの傾向は大きく加速すると考えられます。

速報値によると、2020年の第二四半期(4-6月)の実質GDP成長率はマイナス27.8%でした。史上最大の下げ幅です。ざっくり、経済活動の4分の1が失われたわけです。

しかし、人口の4分の1が死んだわけではありません。日本のcovid-19の死者数は、2020年8月27日時点で1,230人です。人口の0.001%程度ですね。そして、他の病気が増えたというニュースも聞きません。

となると、この失われた4分の1というのは、なくてもなんとかなるものだったという解釈は可能でしょう。それらは「あった方が素敵なもの」かもしれませんが、とりあえずみんな、普通に元気に生きているわけですからね。

実際、コロナ禍でみんなが「不要不急」の活動をやめたわけですが、「不要不急」というのは「なくてもなんとかなる」という意味です。国全体で「なくてもなんとかなるもの」を徹底的に削減した結果、経済が4分の1縮小したのです。

この事実の是非はこのエントリーの論点ではないので置いておきましょう。とにかく、この結果として、たとえコロナ禍が去ったとしても、みんなが以前と同じように同じものを欲しがる可能性は低いと私は思います。

繰り返しになりますが、なくてもなんとかなってしまったわけですからね。需要がゼロになるということはないとしても、少なくとも、そのようなものを手に入れるために無理して働いたり、借金までする人は減りそうです。

2020年、みんな否応なしに引きこもり生活をしたわけじゃないですか。でも、それに引っ張られてみんなが不幸になっているわけではないですよね。のんびりした時間を楽しんだり、家の中での新しい楽しみを見つけた人もいるはずです。それらはゲームだったり映画だったりと、現状主義的なことが多いでしょう。

つまり、良くも悪くも、コロナは人々が現状主義になることを強制している、というのが私の意見です。コロナ禍の元ではゴールが奪われてしまうため、現状主義になれないと不幸になりますからね。

ただ、ここに関しては「騒動が収まり次第、人々の欲望が爆発する」という見立てもありうるでしょう。どうなるでしょうか?

まとめ

以上、長々と社会全体の話を書いてしまいましたが、どれも正しいとは限らないので、あとはあなた自身で考えてみてください。社会の動きと、「それを受けて、自分はどうするか」をセットで考えると面白いでしょう。

私としては、社会が現状主義に傾くのは不可避であり、かつ望ましいと考えています。一方で、私たちが生きている間は、ゴール主義からの完全な卒業は不可能でしょう。現代の社会システムがゴール主義を基盤にしていますからね。また、そんなことを抜きにして、色々と不便になったり人がたくさん死ぬのは個人として嫌です。

となると、先ほど述べた、「持続可能なゴール主義」みたいな話になっていくのかなと思います。ゴール主義のどこかに、現状主義的な活動や心持ちを組み込むわけですね。たとえば、以下のようなことです。

  • 好きなことを仕事にする
  • 数字だけにとらわれない働き方をする
  • 全力を出さずに働く

これらは、ガチガチのゴール主義者からすると青臭いと言われることですし、こちらに振り切るとご飯が食べられなくなる可能性もあるでしょう。

しかし、見てきたとおり、私たちは、これまでのやり方では幸せになれていないわけです。

難しくても、挑戦する価値はありそうですよね。個人としても、社会としても。

以上、自己啓発の歴史と未来について考えてみました。では、現状主義の話はここまでにして、次回は自己開発(ゴール主義)の部分を掘り下げていきましょう(後日投稿予定)。

また、自己啓発関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。


  1. 元データの出典がWikipediaで恐縮ですが、国連のサイトでもほぼ同じ形のグラフです。 

  2. なお、日本は例外で、宗教に頼らずにこの時代を切り抜けています。世界が変えられないものであったことは日本でも変わりませんが、日本人は全体主義の価値観(=みんなと同じならOK)によって苦しい現状を受け入れたのでしょう。 

  3. ただし、個人のレベルでは、豊かさと幸福度は一定程度の相関関係があると言われています。有名なのは、「年収800万円(7.5万ドル)までは年収と幸福度は相関するが、それを超えると幸福度は頭打ちになる」という研究(リンク)です。