「我思う、ゆえに我あり」とロジカルシンキング【批判するとは②】

デカルト

このエントリーでは、具体的な批判の方法を学んでいきましょう。その過程で、ロジカルシンキングの原点も明らかになります。

なお、前回のエントリーを読んでいない人は、先にこちらを読んでください。

では始めていきましょう。

批判するとは

まず、批判のプロセスを確認しておきましょう。批判のプロセスは、以下のようになっています。

批判的に考えるということ

このように、ロジックが示されたあとに根拠を批判し、批判に耐えぬける根拠になるまでロジックを再構築するのが、批判的に考えるということです。

では、批判するためには、具体的に何をすればいいのでしょう?

答えを先に言うと、疑います。批判するとは、疑うことです

Point

批判する=疑う

批判の具体例

まずは具体例を見てみましょう。

Aさん
Aさん

家を買うべきだろうか、借りるべきだろうか?

Bさん
Bさん

借りるべきだと僕は思うよ。

Aさん
Aさん

なぜ?

Bさん
Bさん

理由は3つある。まず、今の日本で不動産を買うのは高値づかみになる可能性が高い。日本の人口はこれから減り続けるわけで、家はこれから余る一方だからね。逆に言えば家賃は下がっていく可能性が高いのだから、不動産価格の変化に合わせて家を借り替える方がいいんじゃないかな。

2つめに、(以下略)

Aさん
Aさん

「日本の人口はこれから減り続ける」というのは、本当に正しいのかな?

Bさん
Bさん

正しいよ。

Aさん
Aさん

なぜ?

Bさん
Bさん

「国立社会保障・人口問題研究所」という機関が、人口予測データを出している。ソースはここだ。

Aさん
Aさん

なるほど。「日本の人口はこれから減り続ける」というのは、正しいと考えてよさそうだね。では次に……(以下略)

このように、批判するとは、提示されたロジックを「それは本当に正しいのか?」と順に疑っていくことです。Aさんが、Bさんの提示したロジックに関して、主張から順にその正しさを疑っていることを確認してください。これが批判するということです。

なお、以前のエントリーでも述べたことですが、このような批判に悪意は含まれていません。また、議論するケースだけでなく、1人で考える際にも、自分で自分のロジックを批判します。

批判の基本ツール:「なぜ?」

批判の基本は、「なぜ?」を繰り返すことです。「なぜ?」と言えば批判した(=疑った)ことになるので、これだけ覚えてください。

Point

批判するには、「なぜ?」を繰り返せばよい

なぜ、「なぜ?」を繰り返すことが批判(=疑うこと)になるのでしょう?

知ってのとおり、「なぜ?」という言葉は「ある言説が正しい理由」を問いかける言葉です。逆から言えば、人は明らかに正しいことに対して「なぜ?」とは聞きません。たとえば、「人間は死ぬよ」と言われて、普通は「なぜ?」と聞かないでしょう。人間が死ぬのは当たり前だからです。

つまり、「なぜ?」と問いかけること自体が、「私はまだ、その言説を正しいとは認めていない(=私はまだ疑っている)」という表明になるわけです。これはまさに批判そのものです。

このように、「なぜ?」という疑問は「本当に正しいのかな?」という疑問の言い換えです。先ほどの例では変化をつけるために「本当に正しいのかな?」という疑問も入れておきましたが、基本は「なぜ?」だけ使えば十分です。このハンマーを片手に持って、根拠をコツコツと叩いていきましょう。

ロジックの構成

どこから、どこまで批判するか

さて、先ほどの例で、こんなことを思わなかったでしょうか。「そもそも、日本の人口が減り続けることは常識なのだから、こんなところから疑う必要はないのでは?」と。たしかに、当たり前のことから疑っていては、本当に議論したいポイントまでいくのに時間がかかってしまいますよね。

一方で、こんなことを思ったかもしれません。「どこかの機関がデータを出しているからといって、それを正しいと認めていいのか? それも疑うべきでは?」と。これもまた一理あります。先ほど述べたとおり、批判とは疑うことです。権威のありそうな機関が言ったことを無条件に「正しい」と認めてしまうようでは、いつまで経っても自分で考えられるようにはなりません。まずは疑うべきなのです。

ということで、ここからは「どこから、どこまで批判するか?」という論点を考えてみましょう。ここを丁寧に考えておかないと、他者と建設的な議論はできません。

限界まで批判する

まずは、Aさんに徹底的に批判してもらいましょう。いったい、何が起きるでしょうか。

Aさん
Aさん

家を買うべきだろうか、借りるべきだろうか?

Bさん
Bさん

借りるべきだと僕は思うよ。

Aさん
Aさん

なぜ?

Bさん
Bさん

理由は3つある。まず、今の日本で不動産を買うのは高値づかみになる可能性が高い。日本の人口はこれから減り続けるわけで、家はこれから余る一方だからね。逆に言えば家賃は下がっていく可能性が高いのだから、不動産価格の変化に合わせて家を借り替える方がいいんじゃないかな。

2つめに、(以下略)

Aさん
Aさん

「日本の人口はこれから減り続ける」というのは、本当に正しいのかな?

Bさん
Bさん

正しいよ。

Aさん
Aさん

なぜ?

Bさん
Bさん

「国立社会保障・人口問題研究所」という機関が、人口予測データを出している。ソースはここだ。

Aさん
Aさん

この予測は、本当に正しいのかな?

Bさん
Bさん

正しいと考えるべきだろう。

Aさん
Aさん

なぜ?

Bさん
Bさん

出生率が急速に変化するとは考えにくいし、世代ごとの死亡率はこれまでのデータが十分にある。戦争や大規模の移民のような、人口構成に大きな変化を与える人為的なショックがないかぎり、この予測が外れる可能性は低い。

Aさん
Aさん

なるほど。しかし、出生率はこれから急上昇する可能性もあるのではないだろうか? また、現代医学の急速な進歩のスピードを考えると、これまでの世代ごとの死亡率データがあてになるというのも怪しい。Bさんの言っていることは、本当に正しいのだろうか?

Aさん
Aさん

待てよ。そもそも僕たちは「この予測に計算ミスはない」という前提で話をしている。しかし、この前提は本当に正しいのだろうか?

Bさん
Bさん

Aさん……、もうやめるんだ……

Aさん
Aさん

そもそも、僕たちは同じモノを、同じように観察しているのだろうか?

Aさん
Aさん

そもそも、僕は本当にここに存在しているのだろうか?

Aさん
Aさん

なぜ?

Aさん
Aさん

それは本当に正しいのか?

Aさん
Aさん

う、うわーっ!

Bさん
Bさん

Aさん!

デカルト
デカルト

我思う、ゆえに我あり

Bさん
Bさん

Aさんがデカルトに……。さようならAさん……

なんと、徹底的な批判を繰り返した結果、Aさんがデカルトになってしまいました。いったい、何が起きたのでしょう。

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」

「我思う、ゆえに我あり」という言葉を知らない人はいないでしょう。そして、この言葉が哲学者デカルトのものであることも、多くの人が知っているはずです。

しかし、この言葉が何を意味しているかは、あまり知られていません。

この言葉の意味をシンプルに言うなら、以下になります。

「私が考えているこの瞬間、私が存在している。このことだけは疑いようのない真実だ」

自分が学んできた学問の正しさに疑問を抱いたデカルトは、あらゆることを徹底的に批判しました。すべてのことを「それは本当に正しいのか?」と疑ってかかったのです。そして、どれだけ疑おうとも疑いきれない、絶対的な真実に到達しました。

それが「我思う、ゆえに我あり」です。私が何かを疑っている瞬間には、たしかに「私」という意識が存在している。これだけは、さすがのデカルトも「正しい」と認めざるを得ませんでした。つまり、「我思う、ゆえに我あり」とは、どれだけ頑張っても批判しきれないこと、逆に言えば、絶対的に正しいことなのです1。彼はこれを「哲学の第一原理」と呼びました。

Keyword

我思う、ゆえに我あり:デカルトの発見した、疑いようのない真実のこと

せっかくなので、デカルトの言葉を引用しておきましょう。

このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め・この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。

つまり、ロジカルシンキングの開祖はデカルトです2。デカルトが「考えるために、疑う」という方法的懐疑を発見し、人類が考えるための道筋をつけました。哲学というと「役に立たない学問」として揶揄されることも多いですが、「役に立つ学問」の代表例のようなロジカルシンキングの源流は、その哲学にあるのです。

あまり脱線してもいけないのでこのあたりでやめておきますが、哲学に興味を持った人は『方法序説』を読んでみてください。意味不明な翻訳タイトルになっていますが、私に言わせるとこの本のタイトルは『わたしの考え方』です。デカルトという天才が、「僕は、こんな感じで考えることにしているよ」と語っているだけの本です。一部に難しい内容が含まれてはいるものの、全体としては読みやすい本です。タイトルで毛嫌いせずに、チャレンジしてみてください。

「基礎」

さて、話を「どこから、どこまで批判するか?」という論点に戻しましょう。デカルトの話から明らかなのは、こういうことです。

徹底的に批判すると、すべての議論は成立しなくなります

毎回あらゆることを疑って、「なるほど、たしかに私は存在しているな。これだけは正しい」なんてところから始めていては、とても主張の是非を決めるところまで行けません。

裏を返せば、建設的に議論するためには、批判しすぎてはいけないわけです。議論をする者の間で「こういうことは『正しい』として、疑わない」という共通認識がなければ、どんな議論も成立しません。

Point

建設的に考えるためには、「疑わないこと=明らかに正しいこと」の共通認識が必要

この、「疑わないこと」を、基礎と呼ぶことにしましょう。ちなみに、この「基礎」は「基本」という意味ではなく、建築物の「基礎」です。スライドの以下の部分をイメージしてください。

基礎

基礎だけは、どんな批判にも耐えられます。というより、基礎は批判されません。批判されないものを基礎と定義したからです。このように根拠の根底に基礎を固めておくことで、「なぜ?」のドリルが地中の奥深くまで突き進んでしまい、不毛な議論になることを防ぐわけです。

Keyword

基礎:批判をするときでも、その正しさを疑わないこと

基礎が重要になるのは、2人以上で議論するケースです(後述しますが、1人で考えるケースでは基礎の心配をする必要はありません)。議論の参加者同士で基礎(「明らかに正しいこと」に対する認識)がズレていると、議論になりません

たとえば、先ほどの例でAさんは「日本の人口はこれから減り続ける」という言説を疑いました。しかし、実際の議論でこれをやれば「こいつは議論の相手にはふさわしくないな」と思われるだけです。「日本の人口はこれから減り続ける」ことは常識であり、ここを疑うことは単なる自分の不勉強の表明でしかありません。

このように、議論が上手く機能するためには、議論の参加者の間で基礎が揃っている必要があるわけです。

では、どんなことが基礎になるのでしょう?

基礎の正体

実は、私たちは基礎についてよく知っています。基礎とは私たちが「常識」と呼ぶものだからです。

「常識」という言葉は、「普通の人が当たり前に持っているべき知識や価値観」を意味します。これは言い換えると「普通の人なら当然に『正しい』と認めているはずのこと」、先ほど述べた「基礎」そのものです。つまり、基礎の正体は常識です

Point

ロジカルシンキングの「基礎」=私たちが「常識」と呼ぶもの

問題は、常識は人によって違うことです。あなたが「常識」だと思っていることが、他の人にとっても「常識」であるかは分かりません。

たとえば、先ほど「『日本の人口はこれから減り続ける』ことは常識だ」と述べましたが、これが「常識」として通用するのは広めに見積もっても「中学生以上の日本人」まででしょう。それ以外の人、たとえば外国人にこれを常識だと期待するのは無理があります。

つまり、議論をするときには相手の「常識」を見定めて、そこにあなたの「常識」を合わせていく必要があります。ここが上手くいけば建設的な議論ができますし、失敗すれば議論になりません。議論の相手が何をどこまで「正しい」と認めているか、常に注意しましょう。

作法としての基礎

さて、ここで終わってしまっては「ケースバイケースだ」と言っただけで、実用的ではありません。そこで、もう一歩踏み込んで、最低限これだけは「正しい」と認めてよさそうなことを具体的に紹介します。ただし、これはあくまで私の意見であり、万能のルールではない点に注意してください。

あなたが誰かと建設的な議論をしたいと思うなら、少なくとも以下の点に関しては「正しい」と認めることをオススメします。

  • 議論の相手が観察したことは、実際に起きたことである
    • 議論の相手の認知能力に問題はない
    • 議論の相手は嘘をついていない
  • ロジックに含まれている情報の中に、虚偽や間違いはない
    • データの入力ミスや、計算ミスはない
    • 参照した情報ソース(誰かの発言やメディアの情報)に、嘘や間違いはない

私がこれらのことを疑わないことをオススメする理由は、疑われた側が反証することが不可能だからです。嘘をついていないことや、ミスがないことは証明できません。ここを批判されても、批判された側としてはどうしようもないのです。

また、現実問題として、このレベルまで疑っていては議論になりません。よって、実際の議論でもここまで疑うことはまずないです。「嘘はない」、「計算ミスはない」という前提を置いて、議論は進んでいきます。要するに、自分の議論の相手は誠実で、ミスをするような人ではないと信じるわけですね。

Point

最低限の基礎:あなたの議論の相手は誠実で、自分と同じくらい優秀な人である

このことすら「正しい」と認められない相手なら、そもそも議論しない方がいいでしょう。そんな相手と、難しい論点に対する答えが出せるわけがありません。

「常識」の落とし穴

これ以上のことをどこまで「基礎(常識)」とするかは、さすがにケースバイケースとしか言えません。相手を見ながら常識のラインを調整するしかないでしょう。

ただし、一点注意してください。あまり常識のラインを高くとるべきではありません。何でもかんでも「常識だ」、「当たり前だ」と言っていては、いつまで経ってもロジカルシンキングができるようにならないのです。

ロジカルシンキングが下手な人の特徴は、疑わないことです。浅いレベルでものごとを「正しい」と認めてしまい、自分で思考を深めることができないのです。

こういう人は、以下のような口癖があります。

  • そういうものだろ」
  • 当たり前でしょ」
  • 常識ですよね」

すぐにこういう言葉に頼っていては、いつまで経ってもロジカルシンキングは上達しません。こういう言葉が出そうになったところでグッと飲み込んで、かわりに「なぜ?」と問いかけてください。そういうものではないかもしれないし、当たり前ではないかもしれないし、常識ではないかもしれません。

つまり、ロジカルシンキングを行うときは、いつもより一段深く疑うくらいで丁度いいのです。議論の相手とも、「正しい答えを見つけたいから、厳しめに批判するよ」というコミュニケーションをしておくとよいでしょう。

先ほど、「1人で考えるケースでは基礎の心配をする必要はない」と述べたのも、同じ理由からです。ほとんどの人は「普段よりも一段深く疑うこと」に取り組むべきであって、「疑いすぎること」を心配する必要はありません。

おそらく、あなたはこれまでに「本当に私はここに存在しているのかな?」といった疑問を持ったことはないでしょう。哲学を学んだわけでもないのにこんな疑問を持てる人は、ロジカルシンキングのセンスの塊です。そういう例外的な人は、考えるたびにデカルトに変身してしまうリスクがありますが、ほとんどの人にこんな心配はいりません。まずはとにかく疑いましょう。

Point

1人で考えるときは、とにかく疑えばいい

まとめ

まとめると、「どこから、どこまで批判するか?」という論点に簡単な答えは出せません。建設的な議論をするためには、何を「明らかに正しい」と認めるかを相手に応じて調節するしかないのです。

しかし、まずはあらゆることを徹底的に疑いましょう。それがロジカルシンキングの上達の早道です。議論をしていて明らかにやりすぎな雰囲気になった場合は疑うことをやめた方がいいこともありますが、そうなるまではとにかく疑うべきです。

以上、批判の具体的な方法を説明しました。「考える = 疑う」と言っても過言ではないので、様々なことをフェアな目線で疑ってみてください。特に、自分が「当たり前だ」と思っていることを疑うのはいい訓練になるので、やってみてくださいね。

さらに学習を進めたい人は

ここまで読んでいただき、どうもありがとうございました。ロジカルシンキングの学習をさらに進めたい人は、以下のエントリーに進んでください。妥当な根拠とはどのようなものかを学んでいきます。

また、ロジカルシンキング関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。


  1. なお、最近はこの哲学の第一原理が本当に正しいのか議論されているようです。デカルトは意識を肉体に先行するものだと捉えていると考えられますが(これ自体、議論の余地があります)、最新の脳科学の知見によれば、意識もまた肉体の産物なのです。つまり、「我思う、ゆえに我あり」ではなく、「我思う⇔我あり」が正しいのかもしれません。 

  2. なお、一般に(ビジネススキルとしての)ロジカルシンキングの開祖と言えば、『考える技術・書く技術』の著者であるバーバラ・ミントさんや、『ロジカル・シンキング』の著者である照屋華子さん、岡田恵子さんが挙げられます。